こんにちは、
よしおです。

京都・観光文化検定の1級をめざす、僕は、まず今年3級を取るためにただいま勉強中。

自身でも、弊ブログ『おじさんは京都検定をめざす』を運営中です。

長岡京の研究に生涯を尽くした方が、中山修一氏(1915-1997)です。
大正4年7月19日生まれの歴史地理学者です。

西京高教諭、京都文教短大教授などを歴任されました。

その生家は、一部が保存され、中山修一記念館(長岡京市久貝三丁目)として公開されています。

なお長岡京の遺跡は、長岡京市と向日市をまたいで広がっていますが、国の史跡に指定されているエリアは、向日市にあります。

平城京から長岡京に遷都

延暦三年(784年)、平城京で即位した桓武天皇は、長岡京へ遷都しました。しかし、造長岡宮使藤原種継が暗殺されてしまったりと、新京の造営ははかばかしくありませんでした。

しかし十年で長岡京は放棄され、平安京へ遷都されていしました。

わずか十年間ではありますが、一時的にもわが国の都であった長岡京の遺跡は、姿のみならず、人々の記憶からも失われてしまいました。

そして「幻の都」と呼ばれるようになってしまいました。

京都フリー写真素材

アイキャッチの長岡天満宮の画像提供はこちらからです。

長岡京 発掘調査

昭和29年(1954年)、長岡京に発掘調査が始まりました。
そして翌年、会昌門跡(かいしょうもん)が出土し、「幻の都」はその姿を再び現しました。

その後、小安殿跡(しょうあんでん)、大極殿跡(だいこくでん)などが発掘されました。
この調査で長岡宮の実在が考古学的にも実証されていきます。

その長岡京の研究に生涯を尽くしたのが中山修一氏の功績でした。

遷都1200年長岡京 (日本語) 単行本 中山修一著

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