蛤御門というユニークな名称は、宝永の大火(1708年)で開門されたことから、焼けて口を開ける蛤に例えられて命名されたと言われています。

なるほど、なかなかウィットに飛んだ命名だな、と感心していたら、

宝永以前にも「蛤門」の名称が使用されていたことが古文書などによって確認されています。

さて、蛤御門というと幕末近くの元治元年(1864年)7月、長州軍が、約三千の兵力で入京し、蛤御門付近で御所を守る薩摩・会津などの幕府軍と衝突し激戦を行った場所です。

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僕は、司馬遼太郎作『竜馬がゆく』で、蛤御門って面白い名称だな、と思って憶えています。

この激戦で、長州軍の敗北に終わり、吉田松陰門下生として高杉晋作と双璧と言われた久坂玄瑞が、戦死しています。まだ24歳の若さでした。

この戦いにより、京都の市街地の約半分は焼失してしまいました。

現在も蛤御門には、当時の弾痕などが残っています。

写真提供:京都フリー写真素材

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