京都御苑 蛤御門
蛤御門というユニークな名称は、宝永の大火(1708年)で開門されたことから、焼けて口を開ける蛤に例えられて命名されたと言われています。
なるほど、なかなかウィットに飛んだ命名だな、と感心していたら、
宝永以前にも「蛤門」の名称が使用されていたことが古文書などによって確認されています。
さて、蛤御門というと幕末近くの元治元年(1864年)7月、長州軍が、約三千の兵力で入京し、蛤御門付近で御所を守る薩摩・会津などの幕府軍と衝突し激戦を行った場所です。
僕は、司馬遼太郎作『竜馬がゆく』で、蛤御門って面白い名称だな、と思って憶えています。
この激戦で、長州軍の敗北に終わり、吉田松陰門下生として高杉晋作と双璧と言われた久坂玄瑞が、戦死しています。まだ24歳の若さでした。
この戦いにより、京都の市街地の約半分は焼失してしまいました。
現在も蛤御門には、当時の弾痕などが残っています。
写真提供:京都フリー写真素材
京都検定と坂本龍馬
こんにちわ、
よしおです。
京都検定(京都・観光文化検定試験)は、京都の文化、歴史の継承と観光の振興、人材育成に寄与することを目的として実施される「京都学」の検定試験です。
試験は、毎年第2日曜日に京都と東京で行われます。
僕が京都に興味を持ちだしたのは、まだ20代の頃でした。
それは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んでからです。
司馬遼太郎 竜馬がゆく
『竜馬がゆく』は、坂本龍馬が19才で江戸に剣術修行に行くときから、33才で暗殺者の凶刃に倒れるまでを史実を追って描かれています。
しかし、坂本龍馬の人間像は、史実に基づいていると言えども司馬遼太郎の竜馬像は、激動の時代を生きながらも爽やかな青年として描かれています。
俳優の武田鉄矢さんを始め、この竜馬に夢中になった人はそれこそ大勢いるんではないかと思います。
だから僕は、激動の江戸末期を舞台にした青春小説だと思います。
※京都霊山護国神社
そんな竜馬に憧れて、20代の時には、東京からオートバイを飛ばして坂本龍馬と盟友中岡慎太郎の眠る京都霊山護国神社のお墓にお詣りに行ったほどです。
坂本龍馬や多くの志士たちが、国を憂い命を懸けて生きた京都のことをもっと知りたい、それには京都検定が一番と思い、おじさんは京都検定一級を目指すことにしたのです。
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