京都の歴史 平安時代
こんにちは、
よしおです。
なんだかんだと昨年12月に京都検定二級を受けてから4ヵ月が経ちました。
今年の試験まであと8ヶ月。のんびりしておられません。
そこで歴史についてチェックして行きたいと思います。
ということで、平安京遷都から行きたいと思います。
京都の歴史 平安京遷都
平安京の朝廷が移された時から、明治天皇の東京行幸までの間、京都は日本の政治や文化の中心的存在でした。
いまでこそ京都は”風情のある古都”といった、静かなイメージで語られることの多い京都です。
しかし、その歴史を紐解けば、たびたび歴史を動かす大事件の舞台となりました。
表れては消える権力者たちと、次々に生まれる新しい文化や宗教が、長い長い時間を掛けて、健在の京都を作り上げたのです。
京都検定で一級を目指す僕としては、そんな歴史の記憶が刻まれた、名所や史跡を尋ねて行きたいと思います。
華やかな記憶もあれば、残酷な記憶もあります。
それらを辿るうちに教科書でしか知らなかった歴史上の人物出会ったり、重大事件の現場に立ち会ったり、まるでタイムスリップしたような感覚になります。
1200年の時の流れを実感することとなると思います。
平安京の面影は、神泉苑と東寺に見ることが出来ます。
どちらも姿かたちはかなり変わってしまましたが、位置は当時と同じです。
また、現在の千本通りが、平安京のメインストリートだった朱雀大路(すざくおおじ)です。
ここを真っすぐに進むと平安京の入り口、朱雀門に着きました。
現在は、その跡に石碑が建っています。
京都の歴史 国風文化
平安時代は、それまでの唐風文化から日本風つまり国風の文化に移り変わった時期です。
これは、遣唐使の廃止によるものです。
遣唐使は、日本が唐に派遣した使節で、日本側の資料では、唐の皇帝との同等の交易・外交をしていたという姿勢ですが、唐側は、倭国からの朝貢としての使いという認識だったようです。
中国は、618年に隋が滅び唐が建ったことで、それまでの遣隋使から遣唐使という言い方になりました。
遣唐使船には、多くの留学生が同行し往来して、政治家、官僚、僧、芸術工芸など多くのジャンルに人材が携わりました。
され、その遣唐使は、894年に56年ぶりに行われようとしましたが、藤原道真のより、唐の混乱と日本文化の発達を理由に廃止となりました。実際この10数年後の907年には唐は滅びています。
ただ遣唐使は200年以上に渡り、当時の先進国であった唐の文化や制度、そして仏教の日本への伝播に大きく貢献しました。
平安時代は、遣唐使の廃止もあり日本文化が豊かになった時代です。
かな文字の発生と華麗な貴族文化、浄土教の流行などがその特徴です。
紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』といった優れた文学が生まれ、平等院の阿弥陀如来像など、優美な美術品も盛んに造られました。
写真提供:京都フリー写真素材